沿革

1970年代<創業期>

1970年 3月6日 舩井幸雄企業経営の総合診断を主業務として舩井幸雄(2014年1月19日逝去)が株式会社日本マーケティングセンター(現・株式会社舩井総合研究所)を大阪市槍屋町に設立。
創業当初のメンバーは舩井幸雄を含め7名。用意できた資本金は100万円。事務所の敷金を払った残りのお金で机は買えたが、椅子は買えなかった。
1970年 9月 経営者のための経営戦略研究会として会員制組織コスモスクラブを設立。
1971年 8月 関東地区の業務拡張のため東京事務所(港区六本木)を開設。
1972年 舩井幸雄著の「変身商法」が40万部の大ベストセラーとなる。この波に乗り、業績が急上昇していく。またこの頃より、競争至上主義的コンサルティングからの方向転換が徐々に行われていく。
1978年 3月 名古屋、福岡等の各主要都市に地域の経営者のための経営研究会として地域フナイクラブを設立。

1980~90年代<コンサルティング業界初上場そして業容拡大期>

1981年 舩井幸雄が新幹線で同乗した某企業幹部に「経営コンサルタントはいかがわしい商売だ」と指摘され憤慨する。経営コンサルタントという仕事が世の中に認められるためには株式の公開だ、と考え上場準備を始める。舩井幸雄一人に頼る体制を改めるため、業務の大半を社員に委譲しはじめる。
1981年 12月 本社を梅田東邦生命ビル(現、梅田イーストビル 大阪市北区太融寺町)に移転。
1985年 3月 株式上場準備の一環として、商号を「株式会社日本マーケティングセンター」から「株式会社舩井総合研究所」に変更。
1988年 9月 経営コンサルティング業界で初めて、大阪証券取引所市場第二部(特別指定銘柄)に上場。公開性、永続性、社会性、成長性を強く義務付けられた会社となる。
1990年 3月 本告正が二代目社長に就任し、舩井幸雄は会長となる。
70年代、80年代の流通業主体の時代からサービス業主体へと変身をとげる。
トップダウンではなく、一人一人の時流適応能力が大きな変身へと結びついていくこととなる。
1993年 6月 大阪証券取引所市場第二部に指定される。
東京本社を東京都品川区西五反田(現五反田オフィス)に移転。
1996年 9月 大阪本社を大阪市北区豊崎に移転。

2000年代<第二創業期 顧客数、従業員数、知名度を拡大>

2000年 2月 株式会社舩井情報システムズを設立(現連結子会社)
2000年 3月 小山政彦が三代目社長に就任。「ギアチェンジ」をキーワードに改革を進め、成長軌道に復帰する。
2004年 12月 東京証券取引所市場第二部に上場を果たす。
2005年 4月 東京本社を東京都千代田区丸の内にある日本生命丸の内ビル(現、東京本社)に移転。
2005年 12月 東京・大阪証券取引所市場第一部に指定される。
2010年 従来の「業績向上支援」に加え、「グレートカンパニーづくり支援」を企業の存在意義の中心に据え、「明日のグレートカンパニーを創る」を企業ドメインに掲げる
2010年 2月 第1回グレートカンパニーアワードを開催(以降、毎年開催)

2010年代<組織再編およびグループ経営のスタート>

2010年 3月 創業40周年を迎える。高嶋栄が四代目社長に就任。
「自由」「自律」「連帯」を方針に掲げる。
2010年 7月 大阪本社を大阪市中央区北浜に移転。
淀屋橋セミナープレイスを開設。
2010年 8月 コーポレートロゴを刷新。
2012年 1月
2013年 11月 持株会社体制への移行のため、株式会社舩井総合研究所分割準備会社(現連結子会社)及び株式会社舩井総研コーポレートリレーションズ分割準備会社 (現連結子会社)を設立。
2014年 1月 舩井総研ロジ株式会社を完全子会社化。
2014年 7月 持株会社体制へ移行。商号を株式会社舩井総研ホールディングスに変更し、経営コンサルティング事業を株式会社舩井総合 研究所に事業継承し、営業サポート業務を株式会社舩井総研コーポレートリレーションズに事業継承。
2015年 2月 株式会社プロシードを子会社化。
2015年 3月 みらいコンサルティンググループとのM&Aコンサルティング分野等に関する業務提携締結。
2016年 3月 中核事業会社である株式会社舩井総合研究所の社長に中谷貴之が就任。同社と社長を兼任していた高嶋栄は当社社長に専任。

創業からの業績推移

1970年~2016年の推移